17年度総会

   3月20日(祝)    

      アスト津3階ミーティングルームB

 

 午前中は参加者の近況報告のあと、昨年度の反省と今年度の活動について討議しました。

 若い方や退職された方が気軽に参加できるように支部例会を充実させていくこと、活動の中に『歴史地理教育』を読んだり紹介したりする時間を意識的につくること、県外から講師をお招きした時は参加費500円を集めることで三重歴教協の予算不足を補うことなどが確認されました。 

記念講演

「知っていますか? 日本の戦争」

   愛知県立大 久保田 貢さん)

 午後の記念講演は久保田さん。お忙しい中、時間を見つけて全国で調査をされ、各地の戦争に関わるモニュメントや記念館を紹介して下さいました。そして各地に残る様々なエピソードから戦争の悲惨さや、戦争の事実を伝える大切さがわかりました。

 オーストラリアで日本人だとわかると、戦争の話を始めるそうです。オーストラリアが唯一空襲を受けたのは日本で、日本との戦争で17000人の方が亡くなっている事実は、日本人はあまり知りません。 

 関東大震災や東京大空襲の時にたくさんの犠牲者が流れ着いた東京のお台場や、軍需工場だった名古屋ドームにも犠牲者を追悼するモニュメントがあるそうです。慰安婦も描かれている映画『きけわだつみの声』(95年)や、『3月10日東京大空襲』(TBS)は教材として良いこと、ひたち海浜公園(ひたちなか市)は米軍の水戸対地射爆場を撤退させた所で資料館もあることなども教わりました。

 久保田さんが書かれた本『知っていますか? 日本の戦争』に多くの事実が紹介されていますので、ぜひご覧下さい。

 学生さんなど若い方の歴史認識や社会認識のお話も興味深かったです。

 言葉は知っていても中身を知らない時があるので「GHQが撤退するのはいつ?」「憲法を守らなければいけないのは誰?」「君が代の歌詞の意味を言って下さい」など深めていくといいと知りました。ドイツでは、ある時期のテレビは戦争のことしか放送しないそうで、歴史認識を育てる文化そのものをつくる必要も感じました。とても楽しいお話で、あとの討論も盛り上がりました。

 久保田さん、どうもありがとうございました。

地域での学習会①(四日市市)

   4月16日(日)  楠交流会館

 

 レポート報告を現地で学び、フィールドワークでさらに学ぶ「地域での学習会」。第1回は四日市で開催しました。午前中は次の2本が報告されました。

「若者と歩もうとしているか」(三鈴支部・萩森)

 退職されてから、四日市公害の激甚地である磯津で「磯津環境学校(いそかん)」を立ち上げ、磯津や地域の方とつながってきた萩森さん。その活動をサポートしていた多くの教え子たちが育ち、自分の道を歩き出した姿を語って下さいました。教育は人格を育てる営みですが、卒業後もずっとそれを続けていることがすばらしかったです。「資本論をかじる会」やさまざまな市民運動など、どんどん新しい扉を開けている萩森さんは、さらに4月から高校の教壇に立つそうで、これからのご活躍が楽しみです。

 

「四日市・福島に学んで~「もうけ」より人の命、ふるさとの自然~」(津松阪支部・草分)

 四日市公害を学んだ子どもたちは、福島での原発事故の学習を進めると「四日市と同じやん」と気づきます。「当たり前の生活を守る。こんなことがなぜわからないのか」という草分さんの思いを感じられる取り組みでした。

 今回のレポートには詳しい授業記録も載せられていて、子どもたちが次々に発言を重ねて考えを深めている様子がよくわかりました。 

 午後はフィールドワーク。ウミガメが産卵に来ていた海岸には新しい堤防やソーラパネルが造られていました。伊勢湾の海岸は壊滅的。美しい環境で生活する権利が、日本では認められていないことがよくわかりました。磯津漁港のあと、磯津の町を歩きました。磯津漁港でも少しずつ漁船が減ってきているそうです。

 磯津の町から見ると、コンビナートは本当に近いです。この日は南風だったので亜硫酸ガスはこちらには流れてきていませんでした。磯津の堤防から三菱マテリアル、三菱化学、昭和四日市石油、石原産業などを間近に望みました。

 多くの犠牲者を出した四日市公害。市民の運動で裁判に勝ち、行政や企業の姿勢を変えたことがよくわかりました。

 ここにはかつて「平和町」という町がありました。戦争で苦しめられた方たちが平和を求めてここに新しい町を作りましたが、すぐ隣に造られたコンビナートの煙によって生活は破壊され、集団移転させられました。後から来た工場に追い出されるのは理不尽です。

 他に楠町のタンクヤード、コンビナート内部、三田最終処分場など、充実した見学ができました。

地域での学習会②(亀山市)

  5月13日(土) 

    亀山歴史博物館、市民協働センターみらい

 

 最初に亀山市歴史博物館で「赤羽刀」と能褒野古墳群の学習をしました。「赤羽刀」とは、敗戦後に武器としてアメリカ軍に接収された刀の一部が日本側の粘り強い要求で処分を免れて保存され、1995年に希望した博物館に無償譲渡されたものです。三重では四日市と亀山にあり、今回は亀山に譲られた10本の刀剣すべてを見せて頂けました。

 無償譲渡の条件の一つは「研磨して公開すること」で、亀山市歴史博物館では10年かけて研磨しました。ものすごくよく切れる刀なので慎重に持たせてもらうと、とても重くて迫力がありました。

 小林館長から、刀の「しのぎ」や刀文、刀と太刀のちがいなど、刀剣についての豆知識もたくさん教わりました。 

 午後は3本の報告がありました。

「広がれ!深まれ!子どもたちの『読みたい・知りたい』」(三鈴支部・中嶋)

 小学校でブックトークをされている中嶋さん。ブックトークで大切にしていることやポイントを教わりました。「ふだんから本を読む」「苦手なジャンルも読む」「本に語らせ、こちらの思いを押し付けない」など具

体的によくわかりました。「図書館に地域のコーナーを作ると、資料が散逸しない」「書架にカードを貼って、お薦めの本を紹介する」など、学校図書館の運営のヒントもたくさんもらえました。

 

「わたで遊ぶ~収穫の思いから始まる生活科の活動」

(津松阪支部・原田)

 地域と学校との連携は大切ですが、学習で何を大切にするかをなおざりにすると「できたから取りにおいで」というような活動になってしまうと原田さんは警鐘を鳴らします。指導書を見るだけで授業をするのでなく、ライブ感を感じながら取り組みを進めたいと原田さん。自分で体験して身につけていくことが大切と話されたことに共感できました。自分たちで育てた綿でつくった「くじらぐも」の絵もすばらしかったです。

 サツマイモのつるで作ったリースを持ち帰る時には、紙の箱を作って入れるといいなど、ナルホドと思う工夫も教わりました。

 

「手紙から見える90年前の人形交流~ネブラスカに残る200通の手紙から」(三鈴支部・岩脇)

 今年の夏に再び里帰りする答礼人形「ミス三重」。この人形が大切に保管されているネブラスカ大学州立博物館には、90年前に送られた三重の子どもたちから手紙がたくさん残されています。その手紙を詳細に読んだ報告でした。手紙は県内143の小学校・幼稚園から217通が送られ、書いた人は216人。そのうち210人は子どもだそうです。子どもたちの手紙からは、アメリカに手紙を出す高揚感や使命感、気負い、そして子どもらしい思いが感じられました。

 それから亀山歴史博物館で中川学芸員に教わった能褒野古墳群を見学しました。「ヤマトタケル」の墓とされたために宮内庁管轄になっていますが、市民が自由に見学できるように早くなってほしいと思います。周辺は宅地造成が進み、哀れな姿になった円墳もありました。この円墳は宮内庁管轄でなかったら間違いなく破壊されていたと思われ複雑な思いでした。

地域での学習会③(四日市市)

    6月10日(土)  四郷郷土資料館 

 この日はさながら「パンプキン・デー」。昨年、この地区に落とされた模擬原爆「パンプキン」のことが明らかになって大きな話題になりましたが、それを掘り起こした早川さんの報告、さらに授業実践への発展、そして現地見学とたっぷり学ぶことができました。

「日本全土に49発投下されていた模擬原爆パンプキン」(桑員支部・早川)

 午前中は、どのようにパンプキンの事実を掘り起こしたかを詳しく聞きました。地域に通い、地域の方とつながりながら情報を得ていったことがわかりました。犠牲になった方のご遺族との奇跡のような出会いも、早川さんの地道な調査があればこそです。1945年7月24日に落とされたパンプキンの全貌がわかったのは大きな成果です。

 昼食後、パンプキン爆発現場へ。現場近くは造成工事で景観が大きく変わりつつあり、蝶さが間に合って良かったと思いました。

 当時を知っている地域の方から「池の堤近くでパンプキンが爆発したために池の堤が切れて水が流れ出した」「うちの瓦が爆風で全部とんだ」などの貴重なお話も聞けました。

 戦争中、この地域には軍需工場の倉庫や官舎が造られていて、驚いたことに官舎の建物が1棟残っていました。さらに別の所にも1棟が移築されていることもわかりました。

 パンプキンでなく、この地域の戦争遺跡も新しく確認することができました。

マンガ「空の青さはひとつだけ・ソラノイト」を読んで考える四日市公害」(桑員支部・早川)

 再び四郷郷土資料館に戻って、早川さんの実践報告を聞きました。早川さんの実践は周到に用意された学習プリントが特長で、一緒の学年を担当されている方が「これなら私にもできます」と言われたことが嬉しかったそうです。

 パンプキン、四日市公害、そして海軍燃料廠、さらには原子力発電所を見事につなげて学習されたことがわかりました。

「毎日小学生新聞」の記者も授業に参加し、その様子が新聞で紹介されたことも語って下さいました。いつもながらスケールが大きく、発問や子どもとのやりとりがおもしろい早川さんの授業から、社会科のすすめ方のヒントももらえました。早川さん、ありがとうございました。

地域での学習会④(伊賀市)

       7月1日(土)  伊賀白鳳高校 

 今年度最後の「地域での学習会」は伊賀市で開催しました。午前中は3本のレポート報告を聞きました。

 

「療育活動を取り入れた体育指導」(伊勢志摩支部・田畑)

 共生の立場を大切にして「障害」児教育のレポートを続けている田畑さん。今年は体育の授業で取り組んでいることを報告して下さいました。

 授業は「体ほぐし」「メインの運動」「療育」の3パターンでされていて、ケンステップやスカイバルーンなどの教具の紹介もして下さいました。「〇〇するな」より「〇〇しよう」、ダメ出しはせずに繰り返しやらせて安心できる場をつくるなど、具体的なアイディアももらいました。

 

「人権教育担当として」(伊勢志摩支部・中西)

 マイノリティにこだわって高校生と人権について考えている中西さん。今年のテーマは性的マイノリティです。性を「体の性」「心の性」「好きになる性」と分けて考え、LGBTも単なる分類や当てはめではなく「自分らしさ」を大切にし、「自分らしさ」を出せる社会の良さに気づかせていきます。性的マイノリティの方と同伴者が参加しての授業の話も聞きごたえがありました。各地から「プールなどで着替えにくい子は保健室を使わせている」「トイレも男女で分けず多目的トイレを使っている」などの取り組みも出されました。

「伊賀の地震・災害碑。災害年表編集でわかったこと」(伊勢志摩支部・新田)

 今年、膨大な資料をまとめ『三重県歴史災害史年表稿』を自費出版された新田さん。その研究にはNHKも注目して番組を作っています。その中から伊賀に関わる碑の紹介や、年表をまとめて興味をもったことなどを報告して下さいました。

 1854年6月の地震は島ヶ原が震源だったが断層が連動して四日市や紀北でも揺れたそうです。また「ドドロ」「トドロ」という言い伝えがあり、これは竜巻を表すのではないかという話は、トトロを思い浮かべて面白かったです。

 午後はフィールドワーク。昨年秋にも伊賀支部の大西さんの立案で現地見学会をして今回は第2弾でしたが、前回とまったく違う見学場所で、どれも興味深く、大西さんの力量と伊賀の地域資料の豊富さを感じました。

 

①安政地震供養塔

1854年の地震による犠牲者を供養するもので、

伊賀市野間の慶明寺墓地にあります。近くの山中には地震によってずれた断層(右写真)も残っていました。

②伊賀地方の円筒埴輪

 伊賀市の埋蔵文化財の整理所で、円筒埴輪を見せて頂きました。三重県最大の前方後円墳であり、三重県唯一の巨大古墳である御墓山古墳、名張市の馬塚古墳、さらに全国的に有名な石山古墳の円筒埴輪もあり、感動でし

た。鹿の線刻が描かれた円筒埴輪もありました。

 伊賀地方は完全に畿内(ヤマト)に含まれることがわかりました。

③伊賀の組みひも

 リニューアルされた「組匠館」で組みひも体験をしました。アニメ映画の影響で体験希望者が増え、映画の舞台になった飛騨古川からも話があり、組みひもの台を貸しているそうです。体験した丸台は簡単に美しいキーホルダーやブレスレットが作れるので楽しかったです。

④法華経塔

 伊賀市上野服部町にある法華経塔も1854年の地震による犠牲者を供養するために建てられたもので、以前は服部川の河川敷にありましたが移築されました。1855年の建立で、地震からわずか1年で建てられています。

 フィールドワークを企画準備して下さった大西さん、どうもありがとうございました。

社会科授業づくり講座①「水産業をどう教えるか」(鳥羽市)

    9月9日(土)  海の博物館(鳥羽市浦村町)、鳥羽市水産研究所(鳥羽市坂手町)

 最初に、三重の水産業の特色と現状を知るために、海の博物館の平賀さんのお話を聞き、質問をぶつけました。

 伊勢湾、鳥羽周辺、熊野灘ではまったく様相がちがうこと、伊勢湾の水産業は壊滅的で、古くからあった漁法もどんどん無くなっていること、どこも水産資源の枯渇は深刻なことなど、たくさんの事実を教わりました。授業には教材研究がやっぱり大切です。

船はいいなぁ
船はいいなぁ

 午後は船で坂手島へ。鳥羽の港から20分ほどですが、船に乗ると新鮮です。子どもたちにも船の体験をさせてあげたいと思います。

 坂手島の鳥羽市水産研究所では、ワカメとノリの種苗を研究・培養しています。研究所の岩尾さんから仕事の内容や苦労などをお聞きしました。

 鳥羽のノリは厚いので、軍艦巻きにしてもピシッと立ちますが、回転ずしのはすぐに立たなくなりま

す。値段も鳥羽は15円転ずしのは円とかなり違うそうです。

「うちのシェアは全国の3%だけど、踏みつぶされる3%でなく、ちゃんと立っている3%」という力強い言葉も印象的でした。

 授業をつくるための、たくさんの視点を知ることができた学習会でした。

 

福島フィールドワーク 10月28日(土)~29日(日)

伊東達也さんのお話を聞く
伊東達也さんのお話を聞く

 10月28日の10時半にいわき駅に集合して、最初に伊東達也さんのレクチャーをお聞きしました。それから菅家 新さんのご案内で、広野町、楢葉町、富岡町を見学しました。

「やがては帰れると思っていた人が、これはダメだと思い始めている」「地震や津波の被害は目に見えるが、原発被害は目に見えない。想像力を働かせて考えてほしい」という言葉が印象的でした。

 楢葉町の宝鏡寺で早川篤雄住職のお話を聞きました。楢葉町では帰還が始まりましたが、戻ったのはお年寄りばかりで、子どもを産み育てる世代はほとんど帰っていません。

 町は町民の帰還者のカウントをやめ、廃炉労働者の居住人数を含めての発表に変えましたが、それでも事故前の20%。「この先30~40年は廃炉の町、その先は死の町になる」と早川さん。

「でも、原発事故は福島が最大と思ったら大間違い。せいぜい12市町村の消滅で済んだのは神仏のご加護だと思う」「事故をもう起こさせず、溶融燃料を管理させる運動が必要。これは全国民のとんでもない課題であり責任」「ずっと福島に関心をもち、二つの課題を叫び続けて欲しい」という早川住職の言葉が心に残りました。

「コンパクトタウン」と言われる宅地が造られていました町に戻った方がとりあえず住むための住宅だそうですが、入居するにはお金が必要とか、5年で出なければならないとか、いろいろ制約があるそうです。

 国が決めた日に避難解除しないと補助金が出ないので、町も苦渋の選択をしているそうです。

 天神岬から、菅家さんのご案内で楢葉町を一望しました手前に見える白い建物で汚染廃棄物を減容化(砕いて小さくする)しています。その後ろに見える丘の上の白い建物は福島第一原発を廃炉するための研究をしています。有名なJビレッジの端に建てられています。サッカー施設のJビレッジも、廃炉の拠点になっています。

 17年3月3日の浪江町の住民帰還率は11%でしたが、3月31日には一気に20%になりました。でも、住民の帰還が進んだのではなく、町が町内帰還者のみのカウントをやめ、町内に居住する廃炉労働者も含めるようにしたからだそうです。まさに廃炉の町です。

 富岡駅です。3年前に訪れた時は放射能のために駅周辺の集落が放置され、津波の被害が生々しく残っていましたが、すっかり再開発されてビジネスホテルもできていました。

 常磐線も東京からここまでつながりました。浪江駅までつながれば全線復旧ですが、高線量地帯での工事が残っています。開通しても高線量の中を走ります。(つづきます)

 富岡第二中の体育館をのぞくと、あの日から時間が止まっていました。2011年3月11日は、午前中に卒業式がおこなわれていました。避難指示は解除されましたが、この校舎も今のところ使う予定がないそうです。

 放射線量は0.49μ㏜ですが、草むらでは0.58μ㏜に上がりました。平常時の安全基準は0.23μ㏜です。

 富岡町から国道6号線を北上して、福島第一原発のある大熊町と双葉町を通過します。国道6号線は2014年9月に開通しましたが、Uターンや停車は禁止、窓を開けることも禁止です。国道の両側は帰宅困難区域です。

 車内の線量は0.72→0.97→1.4→1.79μ㏜と恐ろしいぐらいに上がり、警告のアラームが鳴り続けました。最高値は2.93μ㏜でした。車外はその倍だそうです。

 国道6号線は走れますが、右折も左折もできす、住民が自宅に入るのも写真入りの身分証明書が必要です。交差点には検問が作られ、侵入車両をチェックする方が立っていました。高線量の中でじっと立っている方々の健康が心配になりました。

 浪江駅で1日目の見学を終え、JRで原ノ町(南相馬市)に移動しました。

 10月29日は、志賀勝明さん(小高9条の会)のご案内で浪江町や南相馬市を見学しました。

 ここは請戸小学校。浪江町請戸地区は福島原発事故による強制避難により津波被災者の捜索が中断され、救うことのできた多くの命を失いました。後日わかったのは、浪江町の線量は内陸部が高くて、海岸部の請戸地区では比較的線量が低かったということ。請戸地区は避難指示が解除されましたが、家は一件もなく、放射性廃棄物が大量に置かれていました。

(つづきます)

 浪江町丈六にあるモニタリングポスト。道路左側のモニタリングポストは0.416μ㏜、安全基準の0.23を上回り、三重の線量の5倍でした。

 ところが、人が集まっている草むらの線量を測ると、5.248μ㏜に跳ね上がり、驚きました。

 山林は除染できないので、いくら除染しても雨が降れば山から流れて来るという、除染の限界を感じました。

 南相馬市に残っている鈴木安蔵さんの生家です。

 鈴木安蔵さんは日本国憲法の草案を作られた方として知られてます。「日本の青空」という映画も作られ、改憲派の「日本国憲法はアメリカの押し付けだ」という主張を明快に否定しています。

 建築物としても価値があるので、ぜひ文化財指定してほしいです。

 最後に吉沢牧場(浪江町)を訪ねました。「希望の牧場」です。吉沢さんにもお会いすることができ、たくさんのお話を聞かせて頂きました。

「浪江町の帰還率は10%で高齢者が大半。放置した家はハクビシンやネズミ、アライグマに荒らされ、雨漏りも進んでいるので、それを見て帰還をあきらめる。今は解体費用を全額出してもらえるので、2500件の申請

が出されているが、3分の1しか進んでいない」「牛は少しずつ減っていく。最後まで飼うことは国への抗議。命をどう考えるんだと訴えている」「日本人は熱しやすく、忘れやすく、騙されやすい。最後は『ま、いっか』とあきらめる。あと2~3回原発事故が起こらないと、日本は気づかないのではないか」と、理路整然と話される内容は、昨日お聞きした

福島南部の皆さんからお聞きしたお話と重なりました。

 教えて頂いたことを忘れないために、原発の問題にきちんと向き合っていくために、これからも福島を訪ねようと思いました。

 最後になりましたが、フィールドワークにご助言やご協力を頂きました福島歴教協の福田和久さん、大変お世話になり、ありがとうございました。

芦浜フィールドワーク 12月2日(土)

 三重県には原子力発電所が一つもありません。原発建設を地域がことごとくはね返したからです。中でも芦浜(南島町と錦町。当時)での原発反対闘争はすさまじいものでした。

 闘争によって守られたすばらしい自然を楽しみ、反対闘争や、福島を始めとする全国の原発の現状を学びました。講師は「原発おことわり三重の会」の柴原洋一さんです。

 錦(大紀町)から登り始めます。最初に急登があるのでゆっくりと登りました。最初に登り切ると、後は平坦な道が続きます。

 風もなく穏やかな晴天に恵まれて、青い空と青い海、豊かな山林を満喫しながら歩きました。

 歩きながら柴原さんが話して下さる、原発や芦浜闘争のお話もとても興味深かったです。

 

 芦浜への分岐点には、このような大きな看板があるのでわかります。この看板の左側をまっすぐ降りて行けば、じきに芦浜に着きます。

 芦浜一帯は、今も中部電力が買い上げたままです。またぞろ、おかしな計画を立てないためにも、早く市民・県民に返して欲しいと思います。

 芦浜です。すばらしい海と空の景色です。

 小出裕さんは、この光景を見て「原発が10基できますね」と言われたそうです。もし原発が造られていたなら柏崎原発よりも大きくなっていたかも知れません。地域の反対闘争に感謝です。命がけの闘いを知り、学び、記録に残したいと思います。

 きれいな海と空を見ながら昼食をとりました。

 芦浜のすぐ隣には芦浜池。海岸などが海をせきとめてできたもので、海跡湖(かいせきこ)と言われています。水面では鴨の群れが泳いでいました。

 池の後ろに見える山は姫越(ひめご)山と言うそうで、平家の伝説が残っているそうです。

 この豊かな自然が、原発から守られたことが嬉しいです。静かな池畔がいつまでも続いてほしいと思います。 

 錦から芦浜までは、ゆっくり歩いても往復4時間(休憩含まず)です。芦浜は中部電力の私有地ですが、ハイキングは自由にできるようで、ウェブでもモデルコースなどが紹介されています。また訪れたいと思います。

 案内をして下さった柴原さん、どうもありがとうございました。 

社会科授業づくり講座②「慰安婦」問題をどう教えるか

1月13日(土)

 大阪歴教協の平井美津子さんのお話を聞きました。平井さんは沖縄や「慰安婦」など日本の戦争責任に長年こだわり、中学生に投げかけて考えてこられました。近年『「慰安婦」問題を子どもにどう教えるか』という本をまとめられました。

「直接行く・会うことが大切」と話された通り、平井さんは韓国のオモニや沖縄の皆さんと直接会った時の思いが原動力になっていることがわかり、社会科の授 

業をつくる大きなポイントだと感じました。

 そして、自分の思いや価値観を大切にしながらも、それを中学生に強要せず、根拠のある教材をもとに子どもたちが討論をする授業を練られていることも重要なポイントです。子どもたち自身が考えを深めていく授業づくりを、これからも歴教協や職場で深めたいと思いました。

 平井さん、どうもありがとうございました。

2.11に考える集い 2月11日(日)

 三重県歴史教育者協議会(れっきょうきょう)が事務局を務め、実行委員会形式で開催している「2・11に考える集い」。今年で7回目を迎えました。

 今年は平井美津子さん(大阪歴教協)にお願いして「教育勅語と道徳教育~なぜ今なのか」という講演をして頂きました。流れの良いお話の中に、平井さんが研究されている沖縄や孤児の話題も加えながら、かつての教

育勅語がいかに戦争に加担したか、4月から小学校で始まる道徳科がいかに教育勅語と似通っているかを離されました。

「教室や職員室に憲法を」という提起は心にのこりました。 

お問い合せは下記フォームからお願いします。

メモ: * は入力必須項目です