2016年度総会

  3月19日(土)10時~16時

     中川新町交流センター(松阪市嬉野町) 

記念講演

「5年後 福島の今と原発再稼働」  

 柴原洋一さん(原発おことわり三重の会)をお招きし、東日本大震災発生から現在に至るまでの福島の現状や、原発再稼働とそれにかかる問題についてお話していただきました。 

 

 初めに、福島第一原発による事故の概要や放射性物質の恐ろしさ、事故に対する政府の対応等をお話しいただきました。特に、政府の対応については考えさせられることが多かったです。震災以降、小児甲状腺がんの患者が増えているにも関わらず、「放射線の影響とは考えにくい」「ただちに健康に影響を及ぼすレベルではない」等、責任を追及されないような発言をしている政府。さらに、2017年には避難区域解除と自主避難者への住宅無償提供打ち切り、精神的損害賠償打ち切りを発表しており、その裏には東京オリンピックの存在が見え隠れしています。

 

 柴原さんは、チェルノブイリ原発で起きた事故に対する旧ソ連政府の対応と比較しながら、日本政府の対応について教えてくださいました。チェルノブイリ原発による事故では、国家予算で子どもの長期保養を行っていたり、福島第一原発よりもはるかに厳しい汚染の基準で強制移住させたり、「避難の権利がある」と認定されていたりするそうです。オリンピックに向けて「日本は安全な国」「原発避難者はゼロ」と世界に発信することは、それほど大切なのでしょうか。不安や苦しみに耐えながら日々暮らしている方々に目を向けられないのは、どうしてなのでしょう。原発事故について丁寧に教えていただき、まだ復興には程遠いこと、いまも被害に苦しむ方がいるということを再認識できました。 

 

東日本大震災から5年経ったいま、福島をはじめとする震災で被災した地域についての報道を目にする機会は減りました。そんないまだからこそ、柴原さんの講演を聞き、原発事故をなかったものにしてはいけない、原発再稼働を認めてはいけないと、改めて感じることができたことは、大きな収穫です。柴原さん、有意義な時間をどうもありがとうございました。(上野) 

地域での学習会①(員弁)

  5月14日(土)10時~16時

            賀毛神社社務所(いなべ市北勢町)ほか 

 全国大会レポートや取り組み報告などを現地で学び、現地見学も楽しもうという「地域での学習会」。第1回をいなべ市で開催しました。2本のレポートが報告され、「カフェ プティ・ポワ」のおいしいお弁当をはさんで14時まで熱心な討議ができました。

①「ぴかぴか1年生 ときくんの成長記~生活科『ひろがれえがお』を中心にして~」(桑員支部・上野)

 「員弁の教育」という言葉があります。子どもの姿をつかみ、学校全体で教材やカリキュラムを考えていくすばらしい教育実践です。上野さんの報告を聞いていて、まさに「子どもありき」の取り組みだと感じました。作文や読み聞かせなど原則的な取り組みを続きながら、子どもの良さを見つけて教材化されていました。

 今は文科省などから「新しい教育」が降ってきます。それをきちんと検討せずに「バスに乗り遅れるな」と言わんばかりに授業方法の研究が行われています。上野さんの職場も大変な状況だそうですが、職場の方の協力で「本当の教育」をしなやかに、したたかに進めようとしていると感じました。

 検討会では、これから現場に入って来る「道徳」の問題点、特に家族をどうとらえていくかについて議論が深まりました。 

②「亀山列車銃撃事件の掘りおこしの広がり~『かけはし』3号の発刊と米軍資料~」(三鈴支部・岩脇) 

 09年から、亀山九条の会と一緒に地域の空襲を調査・発信している岩脇さん。戦後70年たっても新しい事実がわかってくることに驚きました。列車銃撃事件については、攻撃をしたP51の具体的なコースがわかってきたこと、時間をおいてもう1回機銃掃射があったことがわかったそうです。

 そして空襲以外にも、健民修練所、防衛召集といった地域での軍事訓練が行われていたこと、戦後に不発弾(廃棄弾?)で遊んでいた子どもが死亡したことなどがわかったそうです。特に、健民修練所や防衛召集は市民の戦争協力という視点からも掘り下げたいテーマでした。

 米軍資料の調査は、20年前の戦争遺跡調査と同じ熱気を感じるそうです。攻撃した側の資料から空襲被害を考えると思いがけない事実が出てくることもわかりました。 

 14時からフィールドワークをしました。

〇アメリカから贈られたハナミズキ(阿下喜小学校)

 1927年に始まった人形交流。アメリカから贈られた「青い目の人形」の1体が阿下喜小にも届きました。その人形の掘りおこしと学習を3年生やALTの先生と進めた民上さんは、地域で大きな活動をつくり、アメリカの小学校に手紙などを送りました。その子たちが6年生になった時、卒業間際にアメリカから届いたハナミズキ。みんなに大切にされて育ち、今年も花を咲かせました。

 来年は6年ぶりにネブラスカから答礼人形「ミス三重」も里帰りします。また新しい交流を、民上さんがつくって下さいそうです。

〇桐林館と奉安庫(いなべ市北勢町阿下喜)

 かつての阿下喜小学校の校舎は、郷土資料館「桐林館」として活用され登録文化財にもなっています。廊下や教室のデザインはすばらしかったです。

 ここには、市内の山郷小学校にあった奉安庫もあります。県内でもあまり残っていない貴重なものです。 

〇二之瀬越え(いなべ市北勢町)

 知る人ぞ知る庭田園地は濃尾平野を一望できる絶景ポイントで、晴れた日には乗鞍や御岳まで見ることができます。この日も名古屋のビルや岐阜城などを遠望できました。

 充実した一日になりました。民上さんはじめ桑員支部の皆さん、どうもありがとうございました。 

地域での学習会②(伊勢)

 6月11日(土)10時~12時  三教組南勢高支部書記局

 全国大会レポートや取り組み報告などを現地で学び、現地見学も楽しもうという「地域での学習会」。第2回をいなべ市で開催しました。今回は平和大行進や三教組の支部定期大会などがあったので午前のみの開催になりました。2本のレポートで活発な話し合いができました。

 

①「相談から支援へ~通常学級の中でできること」(伊勢志摩支部・田畑)

 学校生活の中で「困り感」をもっている子どもたち。田畑さんは子どもたちを的確に見てスモールステップや具体的な指示など、その子に合った指導や支援をしています。具体的な取り組みや言葉かけを教われたので、日常でも役に立ちそうです。

 また、子どもの発達の問題を自分の子育てのせいだと考えて悩んでいた母親が、教育相談で「ようここまで育てたなぁ。育てにくかったやろ」と言われて、涙を流した話は感動的でした。

 

②「三重県にもあった『逃げるな、火を消せ』」(伊勢志摩支部・中西) 

 高校でのすばらしい実践を聞かせてもらいました。ジグソー法という討論形式も初めて知りました。子どもたちは地域での空襲資料を読み、それをもとに考えを深めていきます。小学校では視覚資料をよく使いますが、高校生になると文字資料の方が想像力を使って考えることに役立つことがわかりました。

 国のために犠牲になった方たちに対して、「次は私たちが国のために」と考えるか、「無念だったでしょう。二度と繰り返しません」と考えるかが大きな分岐点です。これは憲法の平和的生存権に直結します。「正解はどれ?」にならずに、自分の考えを深めていくことが大切ということも学びました。

 豊地小学校での学習会         
 豊地小学校での学習会         

地域での学習会③(松阪・多気)

 7月3日(日)10時~16時   

 第3回目の学習会が松阪で行われました。

 午前中は2本のレポート検討、「まめや」(多気町丹生)でのヘルシーでおいしい昼食をはさみ、午後からはフィールドワークに出かけました。

 

①「ブックトークでつなぐ平和教育」(三鈴支部・中嶋)

 退職されてからも、様々な分野でご活躍されている中嶋さんのレポート報告から始まりました。学校の図書館での仕事を通じて平和の尊さや戦争の悲惨さを子どもたちに伝える活動は、とても意義のあることだと感じました。絵本や本で伝えることの良さは、ただ語り継ぐ、事実を教える、というだけでは伝わりきらない感情や情景も、受け手に伝わることです。感性に訴えかけることによって、子どもたちは想像を膨らませながら、平和や戦争について自然と考えることができるのだと思います。

 報告の中で「図書館司書さんが最後の平和の砦」という話も出てきましたが、私たちが戦争を語り継ぎ、平和な未来を守るための手段として、読み聞かせの果たす役割は大きいと感じました。 

 

②「日本国憲法前文を読む~子どもたちはどう読んだか~」(津松阪支部・原田) 

 授業の実践記録を中心にして、報告をしていただきました。まず何より、よく考え、よく話す子どもたちだなぁと驚きました。原田さんが必要だと考えておられる「冷静に事実を把握し、扇動に乗ることなく、判断する力」「判断に従って行動する力」の基本となる部分を、子どもたちはきちんと身に付けていたのだと思います。教科書や資料をもとにして考え、矛盾を指摘したり、人と比較して自分の意見を言ったりできる子どもたちに感心しました。憲法を自分に身近なものとしてとらえて、憲法が持つ力や意義について考えた子どもたちの姿に、明るい未来を見た気がします。 

       水銀坑道跡   
       水銀坑道跡   

③水銀坑道跡・勢和郷土資料館

「丹生」という言葉が水銀を意味するということを、初めて知りました。丹生でとれた水銀は、奈良の大仏づくりに使われていたそうです。また、「延喜式」や「今昔物語」といった書物にも、伊勢の国の水銀にまつわる話が記されているそうです。

 丹生には古代・昭和時代と2つの坑道があり、坑道の近くには水銀精錬装置も置かれていました。鉄管に粉末にした辰砂(しんしゃ)と石灰を入れ、加熱すると気体になった水銀が出てきます。それを冷却して液体の水銀として、集めるとのことです。貴族の白粉(おしろい)や水俣病など、「水銀」と聞くとあまりいいイメージがないのですが、今回のフィールドワークを通して初めて生産する側の苦労について考えました。

辰砂の地層。中央構造線と重なる。
辰砂の地層。中央構造線と重なる。

 坑道跡、資料館を訪れた後に、辰砂を見に連れて行っていただきました。辰砂は拾ってみるとずっしりと重く、水銀が含まれているということがわかりました。

 

③丹生大師

 丹生大師にはご神木として椥(なぎ)の木がありました。葉っぱが特徴的で、まっすぐな葉脈をしていました。長く続く階段を上がると、弘法大師が祀られていました。広い敷地にはきれいな植物も咲いており、緑も豊かでした。とても暑い1日でしたが、木々のおかげでどこか涼しげな印象を受けました。(上野) 

       
       

社会科授業づくり講座①

  「江戸時代をどう教えるか」

    9月3日(土)アスト津・交流スペース⑦⑧

 

 社会科の授業をどう作るのか。マジメに楽しく考える社会科授業づくり講座。今年は「江戸時代」と「四日市公害」の授業について学習し交流します。

 今回は「江戸時代」。まず、お二人の実践から学びました。

①私の江戸時代学習の歩み

     ~身分社会をどのように扱ってきたか~

         (奈良歴教協   西浦 弘望さん)

 パワーポイントを使って、カリキュラムと具体的な教材を紹介して下さった西浦さん。「体系的な歴史は中学校でするから、小学校で全部しなくてもいい。業者テストがあるから端から端まで教えるのでなく、用語や人物名などはプリントでサッとして、学習したいことに時間をかけたらいいのでは」「教科書の単元構成の時間にテストの時間が入ってないのはひどい。この通りにしていたら、絶対に終わらない」という言葉が印象的でした。

 近世身分社会と幕府支配については、かつては「武士が町人や農民などを支配した」とされましたが、今は「それぞれの身分には独立した社会があって、城下町と農村はそれぞれで生活が成り立っている」「それぞれの身分社会の上に幕府や藩が乗っかっている」というのが定説になっているそうです。歴史学の成果をもっと歴史教育にも反映させたいと思いました。 

②江戸時代の授業プリント全13枚 全発問 全資料! 

         (三重歴教協   早川 寛司さん)

 早川さんは社会の授業で授業プリントを作られます。江戸時代は全部で13枚。それを見ながら具体的などのように発問したらいいかを教わりました。プリントは13枚ですがだいたい20時間ぐらいかけるそうです。プリントは教科書の内容を網羅してあり、前日に配って「書ける所は書いてきて」と自主学習をさせているのが心に残りました。

「地名が出たら地図帳を見る。学校で使っている帝国書院の地図帳は、歴史に出てくる場所は青地に白で書いてある。」「1時間に1~2こは、『君たちはどう考える?』とたずねるようにしている。」「『君たちは参加する? しない?』など、二択で考えさせる時も多い」という言葉も心に残りました。

 地域教材も豊富にプリントに入っていました。市史などを見るとヒントが得られるそうです。ポイントをしっかり押さえながら、子どもたちがたくさん考えたり発言したりできる授業でした。

 実践報告のあと、質問や取り組みの交流をしました。「歴史的用語を覚える方法を工夫しながら、授業では具体的な資料をもとに、たくさん意見を出せるように展開を考える」「地域の教材を取り入れて、それを全国の歴史につなげていく」など、たくさんのヒントや見通しをもらえました。(岩脇)

       
       

伊賀フィールドワーク

            10月1日(土)

大西孝明先生(伊賀白鳳高校)に案内していただきました。同じ県内に住んでいても「遠い」「関西」「忍者」「松尾芭蕉」というイメージしかなかった伊賀。今回のFWで、とても興味深い歴史・文化のある土地だと感じられました。

御墓山(みはかやま)古墳

全長188mあり、県内では最大規模の前方後円墳です。上へ登ってみると、葺石が残っており、前方部の形もよくわかりました。三段に見える造りになっており、実際より大きく見せる効果があったそうです。近々手入れがなされるということでしたが、古墳一帯には草が生いり、大きな栗もたくさん落ちていました。貴重な史跡であるにも関わらず、あまり訪れる人はいないようです。蚊が少なければ、もう少し散策したいところでした。

昼食休憩・わかや

伊賀の名物である豆腐田楽を扱うお店です。炭火で焼かれた香ばしい味噌の香りが食欲をそそりました。田楽のランチの他に、湯葉チップス、湯葉のお刺身、豆乳ゼリーも注文し、お腹いっぱい、でもヘルシーな昼食でした。

 

旧小田小学校本館

 三重県で現存する小学校校舎としては最も古く、明治14年に建てられたそうです。柱はエンタシス風の円柱になっており、洋風建築のシンボルとして太鼓楼(復元)もありました。

 建物の中は、近代初等教育の資料展示室になっていました。特に興味深かったのは、日本にある洋風建築の学校の分布と産業との関連を表した図です。蚕や製茶、ニシン漁で栄えていた地域に洋風建築の学校が多いようでした。明治時代に入り、近代化のシンボルとして洋風建築の学校が建てられたのだろうなと思います。都市部ではなく、農村部や漁村部に多く分布していることも興味深かったです。

伊賀流忍者博物館

忍者博物館に着くと、外国からの観光客が多くおり、世界での忍者人気を実感しました。

忍者が生まれた背景には四方を山に囲まれており都に近いという環境的な要因があげられること、奇襲やゲリラ戦法、情報操作によって農民たちを動かしていた悪党に起源があることなどがわかりました。また、漫画やアニメで見る忍者の実態とは異なる点も多くありますが、身分を隠して秘密を保持・伝達する仕事に当たっていたことや、武器を所持したり薬草を調合したりする様子などには派手なアクションや忍術がなくとも憧れる要素がたくさんあると思いました。巧みな話術で情報を集める、こっそりと秘密を聞きだす、ふだんは身分を隠して生活している…話を聞けば聞くほど、もしかすると忍者は現代にもいるのかも? と考えずにはいられませんでした。

伊賀焼・長谷園

国の登録有形文化財に指定されている登り釜を見せて頂きました。16の釜があり、20日ほどかけて火を入れて焼き上げたそうです。40年ほど前までは実際に使われており、現存する16連房はここだけだそうです。

古くから、伊賀には上質な土、アカマツの木が多くあったため、焼き物を作るのに適した環境でした。とは言え、伊賀焼の名前が知られるようになったのは最近のことで、案内してくださった方は「伊賀にはいっぱいいいものがあるのに、アピールするのが下手というか…」とおっしゃっていました。

 それでも、伝統を受け継ぎ、ものづくりに励んでこられた職人さんのおかげで、伊賀焼の良さが認められるようになってきたのだと思います。

組み紐もそうですが、伊賀には素晴らしいものづくり文化が生きているのだと実感しました。

 

ぼんやりとしかなかった伊賀の印象も、FWが終わる頃にはすっかり変わっていました。「もっと知りたい!」と思うことがたくさんある、歴史的にも文化的にも価値が高い土地だということがわかりました。

案内してくださった大西先生、ありがとうございました。(上野)     

輪中館
輪中館

東海ブロック集会(岐阜)

       11月26~27日(土)

愛知、岐阜、静岡、長野、三重の5県持ち回りで毎年開催している東海ブロック集会。

今年は岐阜県で開催しました。参加者は42名、三重からは17名が参加しました。

輪中館と輪中生活館(大垣市)

今回のテーマは「宝暦治水と輪中」。最初に大垣市の二つの資料館を見学して、輪中についての学習をしました。

輪中生活館       
輪中生活館       

講演「宝暦治水の真と虚」(所 史隆さん)

 岐阜歴教協会長の所さんが、宝暦治水とその顕彰活動、そしてデ・レーケによる木曽三川分離工事について話して下さいました。

 宝暦治水は三重県にはありがたかった反面、羽島にとっては洪水激増の原因となり反対運動も起こったこと、三重県の西田喜兵衛が明治期に顕彰運動を始めてから「義士」となり、平田靭負が自刃したという伝承が現われたことなど、平田靭負が自刃したという史料はなく、病死したという史料が見つかっていることなどを教わりました。

「輪中を学習する時に水屋を重視するのはおかしい。水屋を建てられたのは富裕層で全体の10%だけ。ふつうの人たちが避難した助命壇(じょめいだん)を学習した方がいい」という言葉が特に心に残りました。

洗堰公園      
洗堰公園      

洗堰公園

 洗堰(あらいせき)とは宝暦治水の時に、羽島などの反対を受けて、増水時に長良川の水を揖斐川に流す施設です。後世の堤防工事などで現在は遺構などが残されていませんが、ミニチュアの施設で堰を再現する公園が造られていました。

 近くでは昔の輪中の堤防が残っている様子も見学しました。今の輪中は近世の小さな輪中を合体させてできていることがわかりました。

館長さんのお話を楽しむ      
館長さんのお話を楽しむ      

海津市歴史民俗資料館

 この資料館の展示もすばらしく、昨日教わった助命壇や洗堰も、絵図や写真があったのでとてもよくわかりました。

 一つの輪中でも、上流では水がないので井戸を掘りたいが、井戸を掘られると下流では地盤が沈下して水害の危険が高まる。逆に旧輪中の堤防を残して置くと上流では水が抜けないので困るが、下流では水害時に水を止めてもらえるなど、複雑な利害関係があることがわかり、社会科の教材としてとても興味深かったです。 

  
  

 この地図もとても心に残りました。デ・レーケの計画による木曽三川分流工事は、木曽川と長良川を完全に分けるなど治水面ですばらしい成果がありましたが、川の流路を変えた時に村だった所が川になることもありました。

 右の地図で黄色に塗られている所が昔の長良川、東に流路が変わったために、現在の西小藪が川で分かれてしまったことがわかります。西小藪の子どもたちは今でも、通学バスで北にある南濃大橋を渡って、小藪の小学校に通っているそうです。

 資料館の3階には高須四兄弟の展示もありました。幕末に活躍した松平容保(会津藩主)や松平定敬(桑名藩主)は、海津にあった高須藩で兄弟として生まれ、各藩に養子に出たそうです。地域で学ぶ楽しさを、あらためて感じました。

所さん(左端)の説明を聞く      
所さん(左端)の説明を聞く      

宝暦治水碑と治水神社

 治水碑は1900年に建てられ、この碑文に初めて「平田靭負が自刃」と書かれたそうです。周辺の堤防には千本松原がありますが、ちょうどこの碑の近くにある松が1000本目の松だと教わりました。治水神社は平田靭負を祭神にして1938年に建てられました。昭和になってからの新しい神社と知りました。

ナマズ丼     
ナマズ丼     

 終わってから、三重など有志で「おちょぼさん」(お千代坊稲荷)に行き、川魚などの昼食を楽しみました。いろんなお店で串カツの食べ歩きもしました。柿やギンナンなどの美味しいお土産も買い、充実した2日間になりました。

 すばらしい企画をして下さった岐阜歴教協の皆さん、ありがとうございました。

 来年は長野県。阿智村の満蒙開拓平和祈念館を中心におこなわれるそうで、今から楽しみです。

南吉と戦争遺跡を旅する

   ~知多フィールドワーク~

            12月3日(土)

 晴天と暖かさが感じられる中、愛知県半田市に新美南吉と戦争遺跡を訪ねるフィールドワークにウキウキする気持ちで参加しました。

新美南吉記念館

新美南吉記念館は久しぶりでしたが、中の展示物が豊富で100周年のリニューアル成功でした。優しい表情のボランティアガイドさん。作品の中に登場するような笑顔。半田市民に愛されている南吉の一面が浮かび

ました。近年の研究で、南吉の戦争のとらえ方と平和を希求する作品がたくさん発見され、第二の南吉ブームだそうです。そこで『ひろったラッパ』を探してブックトークに入れていますが、題材だけでなく南吉の思想を理解すれば平和への思いが理解できるように思います。記念館の取り組みの「ごんぎつねの朗読会」の冊子を見て、これからの私の仕事の道筋が見えてきました。

「国盛」の建物は大本営跡
「国盛」の建物は大本営跡

「国盛」酒屋見学(大本営跡)

「国盛」酒屋見学では早速試飲やみやげ探し。「国盛」の文字は歌人川東碧梧桐の筆になるもので、どうしても手に入れたいと思いましたがレプリカはないとのことでがっかり。昼食は江戸時代の豪商(海運・醸造)中埜半左エ門の親戚で、大演習で明治天皇の休憩所にもなった家屋。現在は豆腐店を営業しています。愛知県の味噌文化。豆乳から湯葉を作りその場で掬い取って食べることを考えて、お客様料理としてレシピ作りに挑戦します。

ミツカン・ミュージアムと「カブトビール」

 昨年リニューアルされたミツカン・ミュージアムは企業博物館としては一級品でした。素晴らしい展示物、事物大の「千石船、すばらしい映像、寿司をにぎるなどの体験コーナーなど、これからの博物館のあり方を見ました。次は「カブトビール」の半田赤レンガ館へ。10年前に来たときにはここが戦争遺跡とは知りませんでした。今、半田市は「南吉・醸造・祭り・赤レンガ」が町おこしに。 

半田・戦災犠牲者追悼平和祈念碑
半田・戦災犠牲者追悼平和祈念碑

雁宿公園の碑

 雁宿公園は平和と戦争が入り混じった公園。新美南吉の「貝殻詩碑」と「明治天皇駐蹕碑」「東南海地震の殉職学徒の碑」「半田・戦災犠牲者追悼平和祈念碑」など明治天皇と戦争、平和と戦争を考える公園の遺跡でした。朝鮮人犠牲者も石に刻まれていました。歴教協の先輩たちの活躍や半田市民の平和への思いに触れました。さすが新美南吉を生んだ風土かなと。

中之院・コンクリート兵士像

 最後に中之院(南知多町)のコンクリート兵士像。上海事変の「敵前上陸」で戦死した名古屋の連隊の将兵92体を、遺族の要望で浅野祥雲さんが作られた作品です。名古屋にあったものが道路拡張で移設されたそうです。

 

 見学をして、半田市民の人への思いやりとやさしさがエネルギーのもと、平和への希求が根底にあるのかもと。とても優しくなれたフィールドワークでした。「手ぶくろを買いに」の母さんぎつねのつぶやき「人間って本当にいいものかしら、人間って本当にいいものかしら」が聞こえたようでした。(中嶋)

社会科授業づくり講座②

 「四日市公害をどう教えるか」

  1月15日(日)四日市公害と環境未来館 活動室2

 

社会科の授業をどうつくればいいのか。みんなで話しあってヒントをつかむ「授業づくり講座」。今年度2回目は「四日市公害」を取り上げました。

四日市公害は地域の課題として三重歴教協で毎年取り組みたいテーマです。

四日市公害から日本国憲法を考える(6年)

        (奈良教育大附属小 林 綾さん)

 奈良教育大附属小では、6年生の3学期に現代史を人権や憲法から考える授業をしていて、公害では四日市と水俣のカリキュラムができているそうです。

①石油化学コンビナートと塩浜小学校 ②塩浜小学校の子どもたち ③四日市公害裁判について という流れでの学習で、ぜんそくのひどい実態にいらだちを覚えながらも「工場は基準を守っている」「コンビナートによって市は発展し、国民も利益を得ている」という被告の主張にひるむ子どもたち。それだけに裁判の判決文が「憲法で保障されている基本的人権が守れなかった責任を国や地方自治体にも負わせている」ことに驚きます。「声を上げないと憲法に守られないこともある」ということも知りました。四日市公害は憲法や人権を考える時にも有効な教材になることがわかりました。授業プリントも紹介して下さったので、具体的でわかりやすかったです。 参加者からも「四日市公害裁判の原告の一人は、日本の憲法は国民一人ひとりが幸せであることを願っているのだから必ず裁判に勝てますと若い弁護士に言われ、裁判を決意した」「コスタリカでは小学校入学時から、あなたは愛される権利がある、愛されていないなら国を変えることができると教えられている。日本でももっと小さいうちから憲法や人権について考えさせてもいいのではないか」「憲法の主語は国民で、国籍をもたない外国の方に適用しないのは問題では」という意見も出されました。

マンガ「空の青さはひとつだけ ソラノイト」を読んで考える四日市公害…第二海軍燃料廠・パンプキン・コンビナート・四日市ぜんそく…(5年)

         (三重歴教協 早川寛司さん)

 第1回に続いて、今回も授業プリントと授業記録をもとに、子どもたちの発言や授業の流れをわかりやすく話して下さいました。マンガに描かれたセリフをもとに「(公害で亡くなった)尚子さんにあやまらないといけないのは、だれだと思いますか」「なんで尚子が死ななあかんの!!という問いかけに、あなたならどう答えますか」「公害を起こさないでという言葉に続けて、あなたなら何と言いますか」などの発問に、子どもたちが自分の意見を発表し、友だちの意見から学ぶ様子が伝わってきました。

早川さんの受け答えの上手さで、子どもが意欲的になる」「正解を求めず、自分の考えを出し合う楽しさを子どもたちに知らせている」「いろんな考えを出せる発問になっている」「立場の弱い人に焦点を当てて考えているから、子どもにもわかりやすいのでは」という意見が参加者から出されました。

 討論になったのは「戦争と公害の共通点は何ですか」という発問で、「初めから一緒だと言ってしまうと、公害特有の課題が消えてしまうではないか」「どちらもお金もうけのために人権を奪うという本質を、子どもの方がつかめるのではないか」「いろいろ学習した結果、共通なんだと気づいていくのがいいのではないか」という意見が出ました。戦争と公害の本質は同じだということが共有できました。

 塩浜につくられた第二海軍燃料廠に模擬原爆パンプキンが投下され、その跡地に石油化学コンビナートが造られ、四日市ぜんそくを引き起こします。四日市に投下されたパンプキンを掘りおこし、犠牲になった8才の子どもと母親を特定された早川さん。投下された日が7月24日で、四日市公害裁判の判決が出た日と同じだったと語られたことも心に遺りました。(岩脇)

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