学校図書館でのブックトーク(中嶋千絵さん)

      16年度に読んだ本を紹介します 

 16年度もブックトークを精力的におこなわれた中嶋さん。1年間に子どもたちに紹介した本をまとめられました。

 いくつもの学校に行かれているので、本の数も膨大です。ぜひ、教室で読み聞かせをする時の参考にして下さい。

お薦めの本(中嶋千絵さん)
16年度に中嶋さんがブックトークで読まれた本をまとめたものです。
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内灘演習場跡(石川県)を見学してきました

    80歳を超えた生き証人の方々が今も健在 

  9月4-5日石川県加賀市で開かれた全日本民医連集会に参加しました。

その「動く分科会~内灘闘争跡と小松基地爆音体験」に参加してみました。

 

  今から60年以上前の、1952(昭和27)年から5年間、朝鮮戦争を始めたアメリカ軍が砲弾試射場として、石川県内灘村(現在は内灘町)の河北潟畔の砂丘地を接収した。

金沢市の北郊 にある内灘村は、男は遠洋漁業に出稼ぎ、女は沿岸漁業や地引網で獲れた漁獲物を頭上にのせて振売して生計を立てている、人口5726人の貧しい寒村だった。(現在は2.7万人。金沢医大が聳え立つ)

 

  その砂丘地に、幅640m、長さ8.2㎞の土地を米軍が接収、鉄条網で囲んでしまった。かまぼこ兵舎が建設され、発射場・着弾場の長さは3800m。鉄条網で囲い込まれて、浜辺に出られなくなり。地引網漁ができず生計が成り立たなくなっ た「おかか」たちが強硬に反対して、接収された米軍用地周囲で座り込みを始めた。日本の基地反対運動の先駆けとなった。1957(昭和32)年に返還。  

      金沢から内灘まで7㎞の北陸鉄道。終点の内灘駅で待っていた地元案内係りの杉村竹子さんも、当時金沢大学生で内灘闘争に参加していた西野司典さんも、80歳を超えておられる。

米軍の貨物輸送を拒否した北陸鉄道、その 労働組合書記をしていたのが杉村さん、闘争支援に来る時、北陸鉄道は乗車賃を取らなかったと話す西野さん、若々しく記憶を語られる。

  米軍が軍車両を通すために砂丘地に穴あき鉄板を敷いた長さ1㎞の『鉄板道路』が、今も道路標識地名として使われている。

      砲弾の着弾地点に作られた着弾観測所が、砂丘の丘に残っていた。権現の森に残る米兵どもの夢の跡。内灘闘争時、怪我人傷病人を、敵(警官隊)味方(反対派住民,支援者)区別なく、治療看護に当たった莇あざみ医師は90歳の今も現役だと!          (16年10月  加藤) 

三重県歴史教育者協議会
略称:みえ歴教協
(みえれっきょうきょう)
〒513-0012
鈴鹿市石薬師町354
      萩森繁樹

 

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